ふたなのか
2016年 05月 25日
何気久々に宮沢賢治の「永訣の朝」を読んで涙し
賢治の妹のトシがこの世を去る折の心情に再び心打たれていた2日後
母が亡くなった
肉体から魂が旅立った
母の心情は2日前に目にしたトシの言葉が代弁だったんだろうか
(その日の朝日は私にとっては一段と美しく思えた)
お通夜までの2晩は
実家で皆んなといつも通り一緒に過ごした
会いに来てくれた母の友人皆んなが「綺麗な仏さま」と口を揃え
「また会いに来た」と1日に何度も足を運んでくだり
用意された白い顔かけは一度も使用されることはなかった
最後の晩は
父は母が寝ている横に自分の布団を敷き
結婚してからこれまでの日常と同じように布団を並べて寝て最後の晩を過ごし
(やっと父のイビキから免れると思っていた母には迷惑だっただろう〜笑)
魂のない肉体さえ惜しむように約二日半ゆっくりと自宅で一緒に過ごした
会場での納棺は
足袋、脚絆、手甲、頭陀袋、編み笠・天冠、草履に杖の旅立ちの衣装を
親族一人一人に着付けをしてもらい、旅支度を丁寧に終え
お棺の底に皆で茶葉を敷き詰め、芳しい棺の中に母は納まった
生前の本人の意向で家族葬と考えていたが
それでも式は100名以上の方々が最後のお別れに来てくださり
大家族葬となった
(家族葬でと公表しなかったら、いったい何人が来てくださったことかと考えると....)
母が荼毘に付された後、雨おんなの母らしく
旅立ちを知らせるか如く、嵐のような大雨が降った
いつの間にか私のおウチの芍薬が開花していた
毎年蕾をつけた時から毎日毎日蕾が大きくなるのを楽しみしていたのに...
(今年はその開花寸前の蕾を気付かないくらい私の心も失っていたのか)
亡くなってから12日ほどで保険、銀行の手続き(生まれてからの全ての戸籍の取り寄せ)
墓石の手配、四十九日の予定などをすべてを終え、
仏事アドバイザーに驚かれスカウトされた(笑)
母は荷物の多くを、今年に入り母自身が整理していた
そんな整理はせずに静養しなさいと何度も伝えていたのだけれど...
今、荷物を整理していると「これは全て捨てて下さい」「これは**さんに渡して下さい」と
引き出し1段1段の中にメモ書きが残されている
身体を崩していた母も覚悟していたが、私も覚悟していた
でもそんなメモ書きに自身の時間を費やすより、その時間を治療と静養をして
1日でも、1時間でも長く生きてほしかった思うのだけど
そのメモ書きも残された者に対する母の思いやりだと思う
母の中陰壇の仏像が不動明王尊から釈迦如来に代わり二七日を迎えた
昨年感じた思い、あの時が最後の一緒の山登りだったんだ
女性の平均寿命にはまだまだ早かったけど、
母は先に仏様の元に向かった
真っ直ぐに光に向かって旅を進めているだろうか?
途中お腹が減ったら私が握った赤飯のお握り食べて歩いてね
賢治の妹のトシがこの世を去る折の心情に再び心打たれていた2日後
母が亡くなった
肉体から魂が旅立った
母の心情は2日前に目にしたトシの言葉が代弁だったんだろうか
(その日の朝日は私にとっては一段と美しく思えた)
お通夜までの2晩は
実家で皆んなといつも通り一緒に過ごした
会いに来てくれた母の友人皆んなが「綺麗な仏さま」と口を揃え
「また会いに来た」と1日に何度も足を運んでくだり
用意された白い顔かけは一度も使用されることはなかった
最後の晩は
父は母が寝ている横に自分の布団を敷き
結婚してからこれまでの日常と同じように布団を並べて寝て最後の晩を過ごし
(やっと父のイビキから免れると思っていた母には迷惑だっただろう〜笑)
魂のない肉体さえ惜しむように約二日半ゆっくりと自宅で一緒に過ごした
会場での納棺は
足袋、脚絆、手甲、頭陀袋、編み笠・天冠、草履に杖の旅立ちの衣装を
親族一人一人に着付けをしてもらい、旅支度を丁寧に終え
お棺の底に皆で茶葉を敷き詰め、芳しい棺の中に母は納まった
生前の本人の意向で家族葬と考えていたが
それでも式は100名以上の方々が最後のお別れに来てくださり
大家族葬となった
(家族葬でと公表しなかったら、いったい何人が来てくださったことかと考えると....)
母が荼毘に付された後、雨おんなの母らしく
旅立ちを知らせるか如く、嵐のような大雨が降った
いつの間にか私のおウチの芍薬が開花していた
毎年蕾をつけた時から毎日毎日蕾が大きくなるのを楽しみしていたのに...
(今年はその開花寸前の蕾を気付かないくらい私の心も失っていたのか)
亡くなってから12日ほどで保険、銀行の手続き(生まれてからの全ての戸籍の取り寄せ)
墓石の手配、四十九日の予定などをすべてを終え、
仏事アドバイザーに驚かれスカウトされた(笑)
母は荷物の多くを、今年に入り母自身が整理していた
そんな整理はせずに静養しなさいと何度も伝えていたのだけれど...
今、荷物を整理していると「これは全て捨てて下さい」「これは**さんに渡して下さい」と
引き出し1段1段の中にメモ書きが残されている
身体を崩していた母も覚悟していたが、私も覚悟していた
でもそんなメモ書きに自身の時間を費やすより、その時間を治療と静養をして
1日でも、1時間でも長く生きてほしかった思うのだけど
そのメモ書きも残された者に対する母の思いやりだと思う
母の中陰壇の仏像が不動明王尊から釈迦如来に代わり二七日を迎えた
昨年感じた思い、あの時が最後の一緒の山登りだったんだ
女性の平均寿命にはまだまだ早かったけど、
母は先に仏様の元に向かった
真っ直ぐに光に向かって旅を進めているだろうか?
途中お腹が減ったら私が握った赤飯のお握り食べて歩いてね
by e-oak
| 2016-05-25 00:00